モニタースピーカーについて
僕らが音を聞く場合、発生する音をそのまま聞く場合とそうでない場合がある。例えば風の音、鳥の声などの自然音は前者になる。そのほかにも、クーラーの動作音や換気扇のノイズのようなメカニカルノイズも、人為的では有るが前者になる。音楽では良質なライヴな演奏などもそういうことになる。楽器の音が直接聞こえる、、たぶん極小規模のライヴというのが それになる。それ以外の場合には、スピーカーという装置が必要になる。スピーカーというのは良く出来ている。その動作原理は発明された当時から根本的には変わっていない。それ自体 非常に完成されているのだ。
今ではスピーカーは ありとあらゆる場所に組み込まれている。ラジカセやオーディオ装置、駅や店内、コンサート会場にあるものはPAと呼ばれる。それぞれスピーカー装置を使っているが、その使用目的は違う。駅構内のスピーカーは情報を伝えるためのものであったり、店内放送は 有る種の音空間を作り上げたりする。アミューズメントパークのものは ある時には 人を驚かせるためあったりに使われる。PA装置は多くの人に音を伝えるために存在するが、伝えるだけではなく盛り上げるという役割も担っているのである。
それぞれに使われているスピーカーは その使用目的や用途により さらにクゥオリティーを高めて 細分化し、現在に至っている。
では モニタースピーカーとは、どういうスピーカーかのだろうか?録音記録された音を忠実に再現するというのが、理想的である。いや 理想論である。つまりは周波数特性がフラットで、ダイナミックレンジがとってもある。ダンピングもいい。。実際には そんなものは聞けたものではない。何故だろう?
人間の耳には 非常に不可解な機能が備わっている。方向を知り、距離を推測する。そういう能力もある。また、無意識のうちに選択し、必要な部分のみを自動的に聞き分ける機能が有る。ところが、、、、この辺に関しては長くなるから こちらをみてもらいたい。とにもかくにも 何でも感でも忠実であればいいということでもない。さらに周波数特性がフラットで、ダイナミックレンジがとってもある。ダンピングもいい。。。というのは 回路的にそう言われることが多く、電気的な特性がそうであるというだけで、人間の耳にとってフラットで、、、といわれると必ずしもそうではない。
まずは 聞き手側の人間が、みんな同じ音を同じように聞いているかどうかは解らない。人間の耳は 人それぞれ違うと考えたほうがいい。だから 僕の聞いている鳥の声と、隣で聞いているあなたの鳥の声とは、厳密には違うはずなのである。んじゃぁ〜耳と聴覚神経を交換してみようか! っと、さながらヘッドフォンでも交換するように交換して試してみられればいいのだが、そうもいかない。”きみの聴覚神経は ごきげんだね!” ”うん、この間ヴァージョンアップしたし、ターボアダプターをつけたんだ!”っとかいう会話が聞かれるようになる未来がやってくるかもしれんぞ?
おそらく 人間の音の聞こえ方は、確実に個人差は有る。その中で 生活に支障が出るくらいに聞こえにくい部類の人を聴覚障害者というのだろうが、それでも明確な線引きは出来ない。逆に不必要な音まで敏感に聞こえてしまう部類の人も、有る意味聴覚障害者でも有る。エンジニアやミュージシャンが 大きな音に慣れていて、小さな音では聞いた気がしないというふうになっているのも、ある種の聴覚障害にあてはまるように思う。職業病であるね。僕なんかも 音楽を有る程度いいシステムで聞くと、聞き方が仕事っぽくなり、落ち着いて音楽を楽しめなくなる。それが、、例えばラジカセとか、多少歪んだ、くすんだ音になると、流して聞ける、、、そうBGMとして リラックスして聞いていられるようになるのである。これが ぼくにとっては 生活的にはいい音である。
それにしても 何をもって”音がいい”とか”気持ちイイ”というのかは個人の勝手で、基準はない。僕が気持ち良いと思って聞いている音が 必要ない人にとっては苦痛になるし、快適な音量にも違いがある。今気持ち良かったものは、次の瞬間には暑苦しくなり聞いていられない。人間の聴覚や心地よさは意外ところころ変わっていく。自分と他人だけではなく、自分の中でも変わっていく。人間の耳は これに巧く適応していくが、スピーカーはそうはいかない。また それでは意味がない。自分が疲れてきたからといって音量が下がったり、高域がロールオフしたりというのでは モニタースピーカーにはならない。。
モニタースピーカーを考える中でまず必要なのは この辺りを理解することである。まず僕が大切に考えているのは僕自身疲れてしまってはいけないのである。疲れてしまえば 僕自身が感じる聴覚自体がおかしくなり、正確な判断が出来なくなる。いや、実際には自分の中では いつでも正確なのだが、実は基準がズレてしまっているから 出来上がりのクゥオリティーは変わってしまう。だから 長時間の作業、、この長時間という書き方も人それぞれで、、人によってどのくらい長くなったら長時間なのか、、、または疲れるのか?、、、というのは様々なのである。
しかし 所詮同じ曲を繰返し繰返しプレイバックするレコーディングやマスタリング、、、といったエンジニアリングでは、それ自体普通でない世界、異常であり、エンジニアは それには 有る程度慣れてしまわなくてはいけない。そして いつでも同じような感覚で音が聞けるように、心理状態や肉体的な状態を限りなくフラットに保てるように努力したほうがいい。音を聞くという行為は、意外と疲れるものである。このために単にウエイトトレーニングや持久力をつけるといった肉体的なトレーニングだけではなく、精神的なトレーニング、集中力を養ったり、平常心をたもつというトレーニングが必要になる。
良くある話だが、”スタジオでは善かったが、帰って聞いてみたらしょぼいなぁ!” っというのは、スタジオという空間が ある種異常であり、そこにいるだけで盛り上がり テンションは高ぶる。そのため(だけかどうかは解らんが) 正確な判断の基準がズレてしまっているのだと思う。
さてさて モニタースピーカ。 僕が考えるに理想的なモニタースピーカーというのは、個人個人で別なものであると考えている。求めるものが違い、聞いているもの、、、聞こえているものが違う。だから 万人にとって良いモニターというのは有りえないのである。つまりは スピーカーというのは 聞き手によって感じ方が違うもの、、、耳の一部と考えたほうがいい。その中でも 有る一定のレベルというか標準を満たしているというふうに考えたほうがベターなものだというきがするし、そうでもしないと いつまで経っても気に入ったモニタースピーカーというのは見つけられないと思う。
違うかな?
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●グループ山想
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