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今日は 去年の9月11日から一年が過ぎた。
当たり前だね。(^◇^)ハハハ
確か去年は、ナンか仕事していたな。 結構疲れていたような、、、お昼過ぎ(夜中の12時過ぎを僕らの中の一部はそう言う)にウチに帰ってきた。そんでもってテレビをつけたんだっけ。
そん時の”やたらと くどい映画!”の印象は、前にも書いたような記憶がある。
今日は朝から、、あの時の映像が、、ワイドショーばっかりじゃぁ〜なく、、、普通のニュースにでもオンエアーになっていた。
ああやって、二千何百?一人(やたらと この”1”人だけは僕の記憶に刻まれている)が、一瞬にして死んでしまった瞬間を見ていられるのも、僕らの人生では たぶん稀なことだろうね。
貴重な体験といえば、確かにそうだね。
今日は比較的暇で、ぶっらぶっらと一日を過していたが、東京上空を何故か?ヘリコプターが飛び回っていたのに遭遇した。 一瞬、”今年のテロは 東京かな?”っと ある種の期待めいたものも沸いてきたが、、、別になんもなかったみたいだ。
良かったよね。
あのあと メディアでも色々あったよね。 口には出さなくても、、、たぶんみんなが、、きっとそれぞれ色々な事を考えたんだろうね。
単純に怖いと思った人もいるだろうし、かんけいないや!と思った人もいるのかな?
ともかく 色々と考えさせてもらう”きっかけ”としては、たぶん、、、、全世界共通の テーマを提供してくれた事態であったような気がするんだよね。。。 違うのかな?
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さっき 木村なんちゃら?が テレビで言っていたが、、ウサマ・ビン・ラディンが良く言葉にする”80年前”というキーワードは、第一次世界大戦の頃らしい。
トルコ、、、ローマ、、、イギリス、、、そしてアメリカへと 世界の主導権はどんどん移っていった。
特に 第一次大戦はトルコにとっては 決定打となって、、その後衰退の、、というより、頭打ちの窮地に追い込まれたという。 確かに、そうなのかも知れないよ。
日本は島国で、そういう世界情勢には特に鈍感に育ってきた民族だ。鈍感でもナンとかなったんだな。。。これが。。。。(なんてったって、鎖国だもんね。。。(^◇^)ハハハ 根本が、、結構のぉんビリとしてるよなぁ) だから気が付かないのかも知れないし、それだから育ってきたのかも知れない。
僕らの日本は、第二次大戦の敗北で、悪く言えば”アメリカの手先”みたいになって、アメリカを追い付け!追い越せ!で成長してきた。(あくまでも 悪く言えば、、、だよ!)僕は戦争や敗戦体験者ではないけど、小さいころから、、、なぁんとなくそういう感じで考え、信じ、、、アメリカ的な?自由主義というのかな、、? そいういものの環境の中で、、、それを目指してきた様な気がする。
反対の立場に立ってみよう。
トルコやイスラム。 もし仮に、、僕が そっちの世界観の中に育っていたら? 一体どういうふうに考えているのかな? 確かに、そういった中にいても、冷静に”自由主義的発展”をしている人が大半だよ。(だから”テロ”って言うんだろうし、、、、)でも、もし仮に、、、 自分の育った環境が めっちゃんこ80年前の第一次大戦の敗北と憎しみめいたものを引きずっている環境だったら、、いったいどういう世界観が広がっているのだろうね。きっと 僕だったら、、、自分の親や、部落の偉い人や、、、そいう人のおっしゃる通りに、、一生懸命働くよ。
(ウソつけ!とかは、、言わない!!”
日本でも そういう時期はあったんだよ。歴史で習ったでしょ?
そう、武士の時代とか。
平安の南朝と北朝とか、、、、
その前には、、、、 藤原の四家なんてのもあったな。
良く”ウチの家系は藤原だ!”なんての聴くけど、藤原だって 違うのよ! 南家、北家、式家、あともう一箇なんだっけ?(別にシャレじゃなく 忘れただけ。)
僕の家系は 思うにたぶん南家。
時代の二大勢力は 北家と式家だったようで、南家は衰退を辿るわけ。 平安時代の南朝、北朝の争い時の時には南朝側についている。南朝は最終的に天川に御所を作るんだよね。天川は確かに”ものすごい場所”で、それは 多分誰もが認めるんだろうけど、いかんせん小さい。キャパシティーがないんだね。だから、圧倒的な数の論理には負けていく。結果的には 追われていくんだな。
そこんとこイクと、北家、式家は時代を読むというか?戦略性があるというか?タクティクスが見えてるような気がする。 平城、奈良、京都、、っと 都を求めていく。。
結局 教科書的な歴史はそっちを中心に進んでいくようになるんだよね。
おそらく 長島っていうのは、紀伊長島、それから長島温泉。。。。くらいに残っているくらいで、どちらかといえば下降線の家系だったはず。
事態の変わったのは 鎌倉時代の藤原秀郷の出現だね。
今でも神奈川・小田原にその足跡がある。
藤原から武家へと移動した時代背景の中、源氏の武家として頭角を現した秀郷。ある意味 鎌倉幕府に利用されたのかも知れないが、、時の藤原一門は、藤原の四家の枠を越えてまでここに集結するようになるんだな。 なにせ やっぱ厳しかったんだろうね。 だからあ、四家とか、、そういうこと言ってられなかった。。。なんでもイイから ”藤原”ってだけで 物凄い集中力がうまれたんだろう。だからこそ 結果も出たし、実力もあった。 まぁ、潜在的な”藤原”の数がおおかった。 そして苦しかった。だから ともかく秀郷の末裔という藤原一家は 特に関東に多い。
話は戻り、、、南朝と北朝なんて、、、、、何年前だ??
やっと和解したんだぜ! つい最近だよ。 もう世間はそんなこと忘れてるんだけど、これがまぁ根深いわけですよ。 これは”教科書的な歴史”じゃぁ〜なく、現実的な歴史だよ。
(その和解金で あの弁財天社は きれいになったらしいよ)
平家と源氏もあるよね。
僕の居る埼玉、秩父地方は平家の郷。家紋に蝶が入ってるって聴いたことがある。たぶん他にもいっぱい、、全国的にもめっちゃんこ一杯あるね。
探せば身の回りにも、結構たっくさんあるよ。この手のお話は、、、
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